ZABADAKについて。その1

えー、では次の音ネタを。
自分の中で勝手にスピッツと邦楽の二大巨頭(笑)と位置付けている
ZABADAKザバダック)についてです。


スピッツ等と違い、ZABADAKというグループ名を聞いてピンと来る人は少ないでしょう。
例えば、聴いた事が有るリスナーの絶対数で有れば比較にならないと思います。
はてなのキーワードでの説明文(http://d.hatena.ne.jp/)を引用してみると「メディアへの露出はなく一般的な知名度は皆無に等しい…」
と有ります。僕もZABADAKをメディアで見たのなんて、ストレンジ・デイズっていうしぶ〜い雑誌でインタビューに答えているのを見た事が有るだけです(笑)。


ところがこのZABADAK、一部(どれくらい一部なのかの実数は分からないですが
^^;)で強烈な人気が有ります。はてなの説明の続く部分で以下の様に有ります。
「…その唯一無二の音楽性は、好きになる人をどこまでも惹き付けてやまない。」
…で、僕もそのどこまでも惹き付けられてしまった一人です(笑)。
ピンと来ないという人も多いようですが、好きになった人はどっぷりハマってしまうというのが、
ZABADAKの特徴の一つと言えるかもしれません。


ZABADAKの音楽の特徴を一言で形容するのは難しいと言わざるを得ません。
20年以上のキャリアが有るにしても、世代によって、極端に言えばアルバム毎に、まる〜で違う音楽をやっていると言ってもいいかもしれません。
(逆に言えば、ZABADAKだけを聴いていても結構色んなジャンルの音楽を聴けるとも言えるかもしれませんが…。^^;)
あえてキーワードを挙げれば、歌モノ、インスト、ヒーリング、プログレ、フォーク(弾語り)、民族音楽、ハードロック、沖縄民謡、キャラメルボックスやら劇団ひまわりの舞台音楽(サントラ)…。
う〜む、聴いた事が無い人には何のことだかって感じですよね(爆)。とても一つのバンドを形容するものとは思えないかもしれません。
(…いや、これはもう聴いてみてとしか言えないですよね〜…、はい(笑))


さて、ZABADAKの歴史を簡単に紐解いてみると、
1985年に吉良知彦を中心に上野洋子松田克志の3人組で、ZABADAKを結成。86年にデビューし、翌年松田さんが脱退し、吉良さんと上野さんのデュオとなります。
(一般にZABADAKが好きという人は、この二人でやっていた時期のZABADAKが好きという人が多いです)
その後数枚のアルバムをリリースして、93年に日比谷野外音楽堂でのれん分け(いわゆる解散)コンサートを行ったのを最後に、上野洋子が脱退します。しかし、吉良さんが一人になった後も、ZABADAKという名前は消えずに、
吉良さんのソロユニットとしてZABADAKは存在し続けているわけです。


ちなみに僕がZABADAKを聴くようになったのは大学3年の頃なので約5年位前の事でしょうか。
当時はDTMにハマっていて、個人的にMIDIアーティストの方のHPを片っ端から読んで回ったり(いわゆる巡回ってヤツですか(爆死))していました。その中で特に好きな曲を作る方の日記にリスペクトの対象としてZABADAKという名前が有ったんですね〜…。
当時もちろん聴いたことも無かったわけですが、これは絶対に自分が好きな音楽に違いないと勝手に思い(笑)、
ベスト版の「Pieces Of The Moon」をヤフオクで買って聴いたのが始まりだったわけです。


最初に聴いたときに、これは何だろうなー…って思いました。普通に(笑)。それまで聴いたことが無いタイプの音楽であった事は確かです。
ただ凄くイメージがかき立てられる音楽だなぁ…と思った憶えが有ります。
思うにZABADAKが好きな人は創作をするのが好きだったり、もしくは、想像力が強い人が多いのではないでしょうか。
(勝手な想像ですが…^^;)


ZABADAKが多様な音楽性を持っている事は前述しましたが、
そのZABADAKに一番大きな音楽性の変化が訪れたのは、上野洋子さんがZABADAKを離れた時だったと思います。
デュオ時代のZABADAKは単に作曲者が二人いるというだけのグループでは有りませんでした。
上野さんはZABADAKのメインボーカルであり、演奏者であり、看板でも有りました。
また各々が作曲しただけではなく、二人の音楽性が時に混ざり合ったり、時には反発しあったりもして、
あの素晴らしい楽曲群が生まれていったのだとも言えるかもしれません。


ソロになってから出した初のメジャーアルバム「something in the air」を、それ以前の作品と比較すると
ボーカルや、楽曲の完成度、音楽性の幅、色々な面で寂しくなった事は否めません。
僕自身最初に聞いたときの印象は、比較的有りふれているようなロックになってしまったのではないか…というものでした。
部分部分で吉良さんらしい個性が見えはするものの、デュオ時代に作り上げていったZABADAKの個性がかなり薄れてしまったように感じられたのです*1
上野さんが抜けて数年経ってから聴き始めた僕でもそう思うのですから、リアルタイムでデュオ時代の作品を聴いていた人達からすれば、上野さんの脱退が相当の衝撃であった事は想像に難くありません。


この時期に多くのファンがZABADAKを去ったと言われています(実際にライブの動員数もかなり減少したそうです)。
吉良さんは当時の事を「おそらく半分以上、7割くらいのファンが去っていきましたね。「上野のいないザバダックなんて」って事で。」と振り返っています。
しかし吉良さんは、当然音楽性に悩む事も有った筈ですが、作品を出し続ける事は止めませんでした。
その内にますます吉良さん独自の音楽志向を強めていったのです。


93年ののれん分けコンサートのDVDで吉良さんはインタビューにこんな風に答えています。
「コンサートが終わって色んな人から会う人毎に、ZABADAKって解散しちゃったんですってね〜…みたいな事を聞かれました。
 で、僕はその度にそうでなくって、解散ではなくって、上野洋子は自分の音楽をする為に離れていきましたが、
 僕は一人でZABADAKを続けていくのだよという事を、五万回くらい話しました。(←えっ…?^^;←書いていて驚いた僕(爆))
 まぁ、誰だってそうだと思うんですけれど、特に僕のやっている音楽っていうのは、仕事ではなくってね、キャンプに行ったり、虫取ったりするのと同じレベルにある、僕の人生の喜びな訳ですね。
 だからこれは、止める必要も無いし、止める訳にもいかないし、
 自然と続いていくもので、その音楽がZABADAKとイコールで結ばれてしまう訳で、ZABADAKは、僕が生きている限り、しつこく続いていくんだという事を、ファンの人は覚悟しておいて下さい。
 そうでない(聴いた事が無い)人に向かってもこれからは音楽を投げ続けていきたいと思いますので、えぇ…よろしくかな(笑)。まぁ、そんなとこです」(大意)
ある意味誰にでもなく、自分自身に向かってずっと音楽を続けていくんだっていう宣言のようにも受け取れるインタビューだと僕は思いました。
そして実際言葉どおりに音楽を続けてきた事が、今ZABADAKが存在し続けている事からも分かる訳です。


僕は、この時期のZABADAKをリアルタイムで観てきたわけではありません。でもこの時、吉良さんが音楽を続ける事を諦めてしまっていたら、もしかしたら僕はZABADAKという存在や、その音楽を知る事も無かったのかもしれない。
そう思うと、吉良さんの音楽にかける情熱に心を打たれてしまうのです。



プログレど真ん中といった作品の「IKON」、
沖縄のエッセンスを持った楽曲の「夏至南風〜カーチバイ〜」、
キャラメルボックスのサントラとして出された「風を継ぐ者」、「ブリザードミュージック」、
ZABADAKのここ数年の音楽性は、吉良さんが枠に捕らわれず、その音楽的好奇心を思う存分発揮出来たからこそ獲得出来た音楽性と言えるかもしれません。
(それはひょっとしたら上野さんと一緒にやり続けていれば、聴く事は出来なかった音楽なのかもしれない…と思います。)


数年経ってZABADAKは自分のレーベルから作品を出すようになり、
吉良さんはますます自由な音楽製作を続けていきます。
「SIGNAL」、「Wonderful Life」はその一つの頂点ともいえる作品です。
(ファンの間の評価は正直よく分からないのですが)特に、「SIGNAL」は吉良ロックが炸裂した名盤だと個人的には思ってます。
そしてここ2年は劇団ひまわりミュージカルのサントラを二枚連続でリリースし、現在に至る…という感じです。



さて、前回のライブのMCでちょろっと吉良さんが喋っていましたが、
今年こそはオリジナルのZABADAK名義のアルバムを出して欲しいと願いながら、締めたいと思います。
毎度とりとめも無いですが(爆)、こんなところで。
では。


(これは多分続くな〜…と思いました。^◇^;
 全然語り足りませぬ…(爆死))


※以下のBIOGRAPHYや吉良さんのインタビューを参考にしました。
 http://www.zabadak.net/ZABADAK公式HP)
 http://www.moment.gr.jp/18/interview.html

追記。
趣味で音楽をやっています。
良かったら聴いて下さいね!↓
tetsu8823.hatenablog.com

*1:ちなみに僕は初期からほぼ時代を追いかけるように聴いていきました