内田康夫について。その1


さて今回は、内田康夫さんについてです。
(またもや長文です)


内田さんは推理作家で、1934年生まれ、1980年に作家としてデビューし、多い年には一年に十作以上の作品を発表し、現在著作数は関連書籍を含め百五十冊近くになります。
ミステリー好きであれば、名前を一度や二度は聞いたことが有るかもしれません。
(いわゆる本格ミステリという枠からは外れているかもしれませんが…)
人気もかなり有るようで、毎年発表される文壇高額納税者の常連であったりもします。


内田さんの作品でなんといっても知名度が高いのは、
フリーライターという収入が安定せず、うだつの上がらない仕事をしながら、33歳独身、実家に居候し母親、家族から先行きを心配されつつも、
その実態は難事件を次々と解決する名探偵である、という浅見光彦という人物でしょう。


内田康夫は知らなくても浅見光彦は知っているという人も居るかもしれません。
なんせ演じた俳優さんが8人もいる程、テレビで長い事ドラマ化され続けているからです。
代表的なところを上げると、水谷豊さん、榎木孝明さん、辰巳琢郎さん。
今現在は、TBSのシリーズでは沢村一樹さん、フジでは中村俊介さんが演じてます。
個人的には沢村一樹さんは結構ハマってるような気がします。
(バラエティで見る時はそういう印象はもう物の見事に吹っ飛びますけど…(笑))
ちなみに内田さんが創設した浅見光彦倶楽部には過去総勢二万人程が入会したというデータも有ります。
(今現在は約八千人程だそうです…)


ちなみに内田さんがデビュー作「死者の木霊」を出した年に僕は生まれたんですね。
そんな事も妙なシンパシーを感じる理由なのかもしれませんが…(笑)。



さて、僕が内田さんの作品を読むようになったきっかけは、
父親の本棚に有った作品の一つを父から薦められたからです。父の本棚にはまぁ、雑多な本やら雑誌やらが有った訳ですが、割と推理物も多かったような気がします。
当時確か、「今は西村京太郎よりこっちの方が面白い」っていつか薦められたような記憶が…。f^^;ウロオボエ…。


初めて読みきったのは「鐘」っていう結構長めの作品でした。確か中三か、高一の頃だったかと。
これは面白いかも…と思ってからは、家にある内田康夫の本を片っ端から読み漁り、家に無い本は図書館で借りたり、小遣いが有れば自分で買ってみたり。
そんな感じで大学生になる頃には2000年位までに出した作品は大体目を通したような感じになっていました。


僕が内田さんの作品に感じる魅力は、一言で言えばさっぱりした文体の良さというか、様々な土地で起こる事件を解決していく過程を風情豊かに描いてくれるその独特の筆致に惹かれるということが有ります。
また、いろんな意味で結構ダメダメな(笑)浅見というキャラクターに時に自分を重ねたりもしつつ、
時折挿入される、内田さんの社会問題に踏み込んだような意見も共感しやすいものが多かったような。(これ物語の筋には全然関係なかったりするんだけど、でもそれがいいんですね(笑))
また、いわゆるミステリー物に有りがちなエログロな描写がほとんど無かったという事も、学生の僕が読みやすかった理由の一つでもあります。^^;
僕が学生の頃に感じていた疑問や好奇心をいろんな形で満たしてくれたのが内田さんの作品群であったと言えそうです。
少なくとも僕が一人の作家の作品として読んだ数は内田さんが多分ダントツなんでしょうか…。(単に作品数が多いからとも言えそうですけど(笑))



…まぁ、未だにとても好きな内田作品では有るのですが、
個人的に少し思う事も有ったりするので(汗)、ちょっとだけ書いてしまいたい…と思います。


高校生時代には何度も読み返した内田作品なのですが、
ここ数年の内田さんの作品はあんまり読まなくなっていたのも事実だったりします。
もちろん僕個人の本を読む時間が減っていたという事や、多少好みが変わった事も有ったと思いますが、内田さんの小説の傾向が少しずつ変わってきたことも有るのかもしれません。
(また作品の発表数も一時は年十冊以上書いていたのに、今では年に平均二、三冊程度になっています)


僕が変わったと感じる一つの大きな点は社会性が余りに強くなりすぎているのではないか…、という事です。
以前は内田さんの一意見として挿入されていた文章が、まるで全ての人がそうでなければならないとでもいうような強い、重い、違った観点から見れば押し付けなのではないかと思えるような書き方が増えて、純粋にエンターテイメントとして見る事が難しくなってきていたという事が有ります。


また続き物ではない(シリーズ作品ではあるが、各々独立した作品である)為に、毎回の様に繰り返される浅見光彦の設定を説明する文章や、内田さんの見方がマンネリの様に思えてしょうがなくなってきたのです。
これと同じような文章何回読んだんだっけ…、とかね(笑)。
まるで自己模倣に陥っているような印象を受けてしまったりとか、更にビックリしたのが、いわゆるストーリーでいう種明かしの部分(犯人の動機を明らかにする部分)で、全く同じ展開になっているものが有ったのです。
(内田さんはどこかのエッセイで一度書いた作品の内容は忘れてしまうようにしていて、次に読み返す時に、初めてこんなことを書いていたのか…と思い出すと書いていましたが(笑))
まぁ、これだけ作品数が多いとしょうがないのかなぁ…等とも思いつつ、
でもやっぱりちょっとがっかりしてしまったような事も有った訳でした。
あくまで僕個人がそう感じただけの事では有るんですけれどもね…。^^;


※ ちょっと批判的な感じの意見になってしまいましたが、
  好きだからこそという事でどうぞお許し頂きたく…。m(_ _;)m



さてここで、個人的なお勧め作品を何作か上げてみようと思います。
今手元にない本も有るので、多少詳細が違っているのも有るかもしれませんが、ご容赦を。


・「喪われた道」
 プロローグから頭に絵が浮かぶような印象的な入り方をしております。最後まで読みきった後タイトルと合わせて、何だか悲しい気持ちになったのを憶えています。
 尺八と、被害者が絶対に演奏しなかったという「滝落之曲」というのが良い雰囲気を作っていたような…。


・「斎王の葬列」
 なんですかねー、最後の方に被害者の純粋な気持ちが明らかになっていって、その想いの報われなさに切なくなりました。これはすごい良く出来た作品だと思います。
 内田さんの中で一番好きな作品かもしれません。しばらく後に「皇女の霊柩」っていう個人的にイメージが被る作品が有ったのですが、そっちはドラマ版が好きでした。(ヒロインが遠野凪子さんだったので…(爆死))


・「透明な遺書」
 かなり社会派の作品。ラストは結構衝撃的だったような気がします。
 『人は誰も、死に望んで、心に遺書を書くものだと思います。
 それを読み取ることが、残された者の務めではないでしょうか』
 という浅見の科白がとても印象的でした。タイトルも好み。


詳しい人だったら分かるかもしれませんが(笑)、
大体1990年〜1995年くらいに出した作品が特に好きみたいですね。
個人的にはこの頃の作品が、題材とか、テーマの重みとか、ユーモアの質とか、一番エンターテイメントとしてバランスが良かった時期なのではないかなぁと思っています。


もちろん初期にも映画になった「天河伝説殺人事件」や、「長崎殺人事件」、「漂泊の楽人」、「江田島殺人事件」、等魅力的な作品が有りますし、最近でも「氷雪の殺人」、「ユタが愛した探偵」、「箸墓幻想」、「贄門島」等、力作がたくさん出ております。
ちょっと批判ぽい事を書きましたが、最近の作品がつまらないと言っている訳ではないので念のため…(笑)。
(まぁ、でももうちょい気軽に読める作品も欲しいかも…^^;)


いつか時間が有れば一冊丸ごとレビューとかやってみたい気もしますが…。まぁ、多分やらないような気はします(笑)。


ちなみに僕が一人暮らしを始める時に、某区○ヶ原のすぐ側に住むようになったのはこのシリーズからの影響が有ったなんて事は、口が裂けても言えません(爆)。
(いや、東京で最初に思い浮かんだのがそこだったってだけの話なんですが…(笑))


とにかくどんどんこれからも書いていって欲しいと思う作家さんではあります。とりあえず、今読み途中の「化生の海」を早く読んでしまうことにしよう…(笑)。


最後に幾つか内田さんの作品から浅見光彦の言葉を引用して終わりにしたいと思います。
こういう文章が書けるから僕は内田さんの作品が好きです。



「真実を知るということは、時には命より重い場合があるのですから」


「僕だったら、希望を持つことと、他人に希望を抱かせることが女らしさだと思いますけどね」


「しかし、時代がどうなろうと、僕はそういう生き方しかできないと思いますから」


「僕みたいな落ちこぼれは、雑草のごとく生きてゆくしかないけれど、
 エリートはエリートとしての責務があるはずです」


「人は、他人のしたことを、簡単に批評したり貶したりするけれど、
 当人でなければ分からない何かがあって、それぞれ傷ついているものです」


「せっかく発見されながら、虚しく埋もれてしまった『真実』を憐れむのです。そうやって死んでいく事実たちの重みで、日本が沈んでしまわなければいいのですがね」


「僕ならば、死してなお人を動かすような、みごとな骨になりたいものです」




ではそんな感じで…*1
また。

*1:この記事を書くのに「浅見光彦 華麗なる100事件の軌跡」を参考にしました。