エリック・クラプトンについて。その1


さて今回はエリック・クラプトンについて書きたいと思います(笑)。


はっきり言って、クラプトンについては僕が書く程もなく、
もうクラプトン命みたいな(笑)、お詳しい方がた〜くさんいらっしゃると思うので、言い切ってしまうと僕が新たに書けるような事は特に何も無いのですが(爆)、自分の知識の整理と自己満足も含めて書いてしまいます。f^^;
ついでに読んでくださる人の暇潰しにでもなれば幸いです…。m(_ _)m←おい


ではまず簡単にクラプトンの略歴を振り返ってみましょう。
エリック・パトリック・クラプトンは1945年にロンドン少し南のリプリーという町で生まれました。
出生当時、母親は10代半ばの若さであり、父親はカナダ軍の兵士でしたが、既に家族持ちだった為、クラプトンは両親にではなく、祖母と義理の祖父の家庭の元で育てられました。
ギターを始めた当時クラプトンは13歳でしたが、18歳の時には既にプロのギタリストとしてデビューしていました。
流石にデビューから40年以上のキャリアが有ると、参加したバンドもかなりの数になります。
幾つか挙げると、ヤードバーズ、ブルースブレイカーズ、クリーム、デレク・アンド・ザ・ドミノス等…です。
しかしバンドの一メンバーとして参加していたのは、ほぼ彼が20代半ばの時代までであって、今では彼の活動の大半を占めるのはソロになってからの活動と言えるのではないでしょうか。


70年代から80年代前半までは麻薬中毒、女性関係等様々な問題を抱えつつ、引退、復帰を繰り返しているような状態でしたが、
それでも「461 OCEAN BOULEVAED」、「AUGUST」、「JOURNEYMAN」等要所でターニングポイントになるアルバムを着実に発表し続けていきました。
80年代後半には自身の音楽活動にも安定感が見られるようになり、92年発表の「UNPLUGGED」でグラミー賞受賞等一大ブームをもたらし、日本でも多くのファンを増やしました。(正確な資料が無いので間違っていたら申し訳ないですが…、^^;)「UNPLUGGED」はアメリカだけで1000万枚を超えるヒットに、また90年代後期に発売されたベストアルバムは日本で200万枚を売り上げたそうです。その後内省的なアルバム「PILGRIM」も発表。この曲は2曲を除いてほぼクラプトン自身の楽曲で占められています。


そして2000年代に入ってからは、ブルース界の巨匠B.B.キングとのジョイントアルバム「RIDING WITH THE KING」、自分の幼少期を振り返る事をテーマとしたアルバム「REPTILE」を発表、そして2005年には37年振りのクリームの再結成ライブが有りました(超観たかった…(爆死))。
またプライベートでも、2002年に30以上年の離れたアメリカ人女性でグラフィック・デザイナーのメリア・マッケナリーと再婚し、3人の娘と共に幸せに暮らしていると伝えられています。
最近では随分リラックスした印象で音楽をやっているのが、今のクラプトンなのかもしれません。



さて、クラプトンと言えば数々の音楽活動以外のエピソードが有名な人です。
女性関係のだらしなさや、麻薬、アルコール中毒等、ゴシップめいた噂を聞いた事が有る人も多いのではないでしょうか。
確かにアーティストとして波乱万丈という言葉がこれほど似合う人も居ないかもしれません。
もちろん辛い人生を送ってきた人は他にもごまんといるかもしれませんが、しかしクラプトンが凄いところは人生の中の大きな出来事が、残してきた作品とかなりの割合でリンクしているという事です。
代表曲と言われているクラプトンの作品には、クラプトン自身の大きなイベントが影に有る事が多いと言えると思います。


例えばクラプトンのライブでほぼ間違いなく演奏される代表曲「Layla」は、ビートルズのギタリストであり、親友でもあるジョージ・ハリスンの妻パティ・ボイドへの許されぬ愛を歌ったものでした。結局その後、クラプトンはパティと結婚し(その後10年足らずで離婚しますが…ーー;)、「Wonderful Tonight」、「Old Love」等、パティをモチーフにして歌った曲を幾つも残しています。普通に考えればジョージとの仲も険悪なものになってもおかしくなさそうなものですが、しかしその後も日本で一緒にライブをする等、ジョージとクラプトンは不思議な絆で結ばれていたようです。


また「UNPLUGGED」に収録されている「Tears In Heaven」は、
1991年に4歳半で転落死したという息子のコナーの死を悼んで作られたという楽曲です。
この時期には、クラプトンが再度音楽活動への意欲を無くしてアルコール中毒に戻ってしまうのではないか…、と多くの人が心配したそうですが、クラプトンは常に古いガットギターを弾く事を忘れずにいて、この曲が生まれたそうです。
結果的に言えばこの曲は多くの人の心を捉えるクラプトンの代表曲の一つになりました。


そして2005年8月に発表された最新作「BACK HOME」では、「So Tired」という曲が有ります。
曲名からすると暗い愚痴っぽい曲なのかと思われますが曲を聴いてみると、今のクラプトンの幸せな家族の風景が読み取れます。子供達の相手をして疲れたけれど、決してそれが嫌ではないんだろうな…と(笑)と思わせてくれる軽快な楽曲になっています。



そういった曲の背景に有る出来事はファンの耳にも少なからず届いている筈ですし、だからこそ、心に残るものになっているとも言えるかもしれません。
逆に言えば曲だけで勝負してなくてズルいよ! なんていう声も聞こえてきそうですが…(笑)。(…あ、そんな事を言うのは僕だけです(爆)。冗談なので気にしないください(笑))。



さて、僕がクラプトンを知ったのは、車のCMで「Change the World」を聴いたのがきっかけです。
その時は単純にいい歌だなって思って興味を持ちました(後から考えるとコーラスの良さに惹かれたようですが…(笑))。
初めて購入したのは前述した99年発売のベストアルバム「CLAPTON CHRONICLES(BEST OF)」でした。
そこでまずアコースティックな面でのクラプトンの魅力にやられました。「Change the World」や、「Blue Eyes Blue」、そして「Layla」と言えばあのエレキギターでのギターリフが有名ですが、まず僕はこのアルバムに収録された、UNPLUGGED版の「Layla」にやられにやられてしまったのでした(笑)。PVで観たリラックスした雰囲気といい、ジャジーなアレンジといい、クラプトンの渋い歌声といい、ソロといい…。反則です(笑)。←おい


その後、僕がクラプトンを好きになっていったのは衛星放送で入手したジャパンツアーや海外のライブ映像、そして一番極めつけなのはCream時代のライブ音源を聴いてからかもしれません。
この人のギターは凄いなぁ…、とギタリストとしての魅力を再発見したのもこの時期です。
このCream時代は特に、スタジオ音源とライブ音源があまりにも違うのでビックリした事が有りますが、基本的にクラプトンはライブ音源を聴くのが好きな方です。



正直なところ、僕はいわゆるクラプトンの事が好きになってから、
全てのアルバムを集めるだとか、またライブの追っかけみたいな事をしていた訳では有りません。
しかし、ブルージーなギターを聴きたくなる周期が必ず有って、そんな時にいつもクラプトンを思い浮かべます。
そんな意味で、クラプトンはやはり自分にとって特別なアーティストなのだなぁ…という思いが有ります。


ライブは2001年のツアー最終日の12月15日横浜アリーナと、2003年の11月29日日本武道館を見に行った事が有ります。
ここ最近2年間隔で来日していたクラプトンでしたが、少し足が遠ざかっているようにも思えます。
大規模なワールドツアーを止めてしまうのでは…という噂が流れた事も有りましたが、最近ではヨーロッパで新たにツアーをやっているそうです。
今年の冬に日本でもツアーをするという噂を聞いていますが、早く正式な発表がされないかなぁ…と楽しみにしています。



この人のキャリアを振り返ると、まだ聴けていないアルバムや音源、知らない知識もまだまだたくさん有るのだなぁ…^^; という事を再認識させられます(資料も多過ぎるくらい有りますし…(笑))。
最近自分が買ったのは、Creamの「Live Cream」ですが、前述したとおりこの時代のクラプトンのライブ音源は今とはまた違ったギターの良さが有ります。攻撃的と言ってもいい、ひたすら3人のインプロヴィゼイションが繰り広げられるこのアルバムは、ジャズとは全く違う本当に自由な、かつ素晴らしいロックなアルバムとして聴く事が出来ると思います。
はぁ、こんなギター弾けるようになりたいっすよ…。
(絶 対 無 理)(.。)☆\(-_-;)bang!



そんなところです*1
ではでは。

*1:シンコー・ミュージック・ムック「天才ギタリスト ERIC CLAPTON」を参考にさせて頂きました。